コラム2:【憲法と法律は同じもの?違うもの? 後編】


「私たちの生活に支障が生じているから、憲法を改正する必要がある。」

この発言って、聞き流しても大丈夫?

答え

大丈夫か大丈夫じゃないかは、もちろん聞いている側の立場や状況に左右されますが、

このような発言をする人の言葉には、よくよく注意して耳を傾ける必要があります。

なぜかというと、発言者の意図・背景が、以下①から③のいずれなのかが、その発言を聞いただけではわからないからです。

① 自分たちの作りたい法律を成立させるためには憲法改正が必要

② 現場レベルの実質的な調査検討をしないままに法律や行政の不備を憲法のせいにしている

③ 憲法について何も知らない

ここで【憲法と法律は同じもの?違うもの? 前編】を少し振り返ると、

少なくとも私たちに何らかのルールを強いるのであれば、それは、憲法に沿った法律とその運用(=行政)の中で対処されるべきである、というのが、立憲主義を採用した憲法の考え方でした。

であれば、憲法改正が必要となる場面というのは基本的に、

『民衆』が『国』に対して要求したいことがあるのに法律にその規定がなく、憲法も無言で、国の政策を待っていてもその要求が実現しない場合や、統治機構(国や地方自治体の機関に関する仕組み)に不備があるといった場合です。

たとえば、日本国憲法でいえば、環境権や同性婚、憲法訴訟や地方分権に関する規定などがこれに該当するでしょう。

つまり、「私たちの生活に支障が生じているから、憲法を改正する必要がある。」という発言には、「~から」の部分に、論理的に大きな飛躍があるわけです。

もし、上記のような発言によって憲法改正を訴えるのであれば、現憲法下では実現できない事態が生じていることを理由とあわせて説明し、かつ、その「実現できないこと」を実現させてよいかどうかという価値判断を『民衆』に問う必要があります。

以上、前編と後編を多少補足を加えつつまとめると、以下のようになります。

結論:

憲法と法律は別のもの(=私たちは法律に従うから、国は憲法に従ってください)

結論からの帰結:

私たちの生活に足りないものは私たち自身で、あるいは法律と行政(=政策)で解決するというのが基本。

(= 憲法改正しなければ実現できない事柄があるのであれば、その前提としてまず、それがあえて国がやるべき事柄かどうか、法律と行政で実現できない事柄かどうかを議論しましょう。そして、憲法改正を実施するのであれば、その中身について、現在の『民衆』である私たちが、過去の『民衆』から未来の『民衆』へと続くバトン(信託)を落とさない内容になっているどうかを議論しましょう。)

なお、ここにいう、「過去の『民衆』から未来の『民衆』へと続くバトン(信託)」という表現については、日本国憲法に以下のような条文があります。

第97条(基本的人権の本質)

この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、これらの権利は、過去幾多の試練に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。

ちなみに、『民衆』が『国』に対して要求したいことがあるのに法律にその規定がない場合、

現代のICTをもってすれば、

憲法改正よりも、『民衆』が立法作業の一部を担うようなシステム(=直接民主制に近いもの)を構築のうえ利用する方が、当然、効率的で安定的でしょう。

しかし、そのようなシステムあるいはツールの整備は、諸外国では進みつつあるようですが、

少なくとも日本では不十分と言えるのだろうと思います。



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